この度、本腰を入れて加藤シゲアキさんの本を読み始めました。
シゲだのシゲちゃんだのしげぴだの呼ぶのに恐れ多くなってしまったので、現状呼び方迷子中です。とりあえず加藤さんで行こうかな。
元々、本を読むことは好きでした。
でも、私の読書のピークは小学生から中学2年くらいまでで、初めに本読むのって楽しいんだな!と思った作品がファンタジーものだったのもあって、わざわざ自分で買って(親に頼んでるけど)読むのは決まってファンタジーだった。
ところで私がNEWSを好きになったのは高校生で、その頃は年中部活で本を読む余裕がなくなってた。ジャニオタするのが関の山でした。夜な夜な占ツクは読んでたけど。嵐の。あ、自分の名前にはしてないよ?
加藤さんが小説を書いているのは知っていたし、好きになった時点で3作品ほど出版されていたけど、その頃には朝読書週間なんてなくて小テストばっかりさせられてた。
読みたい読みたいと思いながらも、なかなか手が出せないまま時だけ経って、ピンクとグレーの映画を裕翔担の友達と借りて観たのが、作家 加藤シゲアキに触れた最初だったと思う。ちょっと気まずかった。
それから大学に入って、ついにピンクとグレーを読んだ。でもそこから先は遠征金欠と大学とバイト三昧で結局読めてない。
でもいま、それでよかったんだと強く思います。
中高生の頃に加藤さんの本を読んでても、今読むほど面白いとは思えなかったように感じるから。
あとは思いっきり感情移入できる恋愛小説とか。
それが好きなのは変わらないけど、でも今は加藤さんのお話を面白いと感じられるようになってる。大人になりました。
ハッピーエンドとか、勧善懲悪的なスッキリした気持ちにはならないけど、心の下の方にぐるぐるとちいさいもやもやが残るような、後味をひく感じ。でもこのすっきりしないのが人間で感情で現実なんだと思う。
傘をもたない蟻たちは を読み終わって書いているので、あれだけたくさんの人間と感情と人生が、全部加藤さんから紡がれたものなのかと思うと、普段どんな風に世界が見えているんだろうと気になる。
テレビで見て、コンサートで見て、本を読んで感じてきたことも、加藤さんのすみっこに過ぎなくて、本を読んだ後は底なし沼に引っ張られるような恐ろしさを感じる。
でもこれはたぶん加藤さんが特別なんじゃなくて、人間の誰しも底なしの沼はあれど、それを感じるほど頭の中を人に晒さないから分からないだけなんだと思う。見えないなら怖くないけど、見えるのに見えないのは怖い。
加藤さんの現実的な非現実の世界でぐるぐるしているところから、現実世界に引っ張り上げるように差す一筋の光もまた加藤さんなんです。今度は非現実的な現実の存在として。
他担ながら、これは一生とらわれて離れられないだろうなと思います。
とはいえまだ、話題のオルタネートはいよいよこれから読み始めます。
人生初のハードカバー。楽しみです。